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SCRIBBLINGofCARLOS カルロスの雑記

気の向いたままに・・・・・

没後に人気と評価が高まった・・・

2013-May-31

今日で5月も終わりか~
梅雨の合間の晴れか、今朝は雲ひとつない快晴だ。
気温も30℃近くまで上がるという予報だが・・・

昨日はブログに画像が挿入できないトラブルで一時はどうなるかと思ったが、4時間半にわたる悪戦苦闘の末なんとか復旧することが出来ほっとした。
ディスクの空き容量を増やすために不要と思われるものを削除していて肝心なものまで削除してしまったのが原因と思われる。
あまり余計なことはしない方が良いとつくづく思った。

さてそんなことで・・・

今回紹介するブルー・ノートジャズメンは「幻のテナー・マン」と呼ばれるテナー・サックス奏者ティナ・ブルックスだ。
哀愁を帯びた音色と歌うようなブルージーな演奏は一度聴けば虜になってしまうような魅力がある。
実は恥ずかしながらCarlosこのティナ・ブルックスは全く知らなかった。

ティナ・ブルックス1

彼の録音活動期間は短く約3年間しかなく、4枚のリーダー作と十数枚の参加作のみで、そのほとんどがブルー・ノートでの録音だったようだ。
しかし、彼が生前に発表されたのは僅かに1枚のみで、彼の死後に未発表作品として世に出された。
死去した後で生前より人気や評価が高まる芸術家はどのジャンルでも少なくないが、ブルックスもそのような運命をたどったアーティストといえよう。

生前に名声を獲得することが出来なかった理由は彼は薬物依存症で、音楽活動が断続的になったこと、シャイで控えめな性格だったからだと言われている。

1932年ノースカロライナ州ファイエットヴィル生まれで。本名はハロルド・フロイド・ブルックスで、ティナは愛称だ。
8人兄姉の末っ子の双子で、音楽教育に熱心な父親の影響で兄姉はみな音楽が好きだった。

10歳上の兄ババ・ブルックスはR&Bのテナー・サックス奏者として有名だった。
12歳のとき一家はニューヨークへ引っ越す。
兄の影響でそのころからサックスを始める。
そのニューヨークで不良にサックスを奪われるという事故に遭い、治安が悪いからとブルックスは故郷に戻って地元の高校に通い、最終年に再びニューヨークのハーレムの音楽学校で学んでいる。

彼が最も影響を受けたサックス奏者はメロディアスな歌心あふれるアドリブの天才レスター・ヤングだった。
高校を卒業して、プロとしての音楽活動を開始し、数年間はR&Bのバンドに加わり演奏活動をしている。

ティナ・ブルックス2 ティナ・ブルックス3

’57年ブルックス25歳の時、ブルー・ノートでジャズ・オルガン奏者ジミー・スミスとの共演で初レコーディングをしている。’
60年代に入ると次第にドラッグ依存が悪化し、病院や麻薬刑務所に入りながら断続的に地元ブルンクスのクラブをベースに地道に音楽活動を続けている。

ティナ・ブルックス4 ティナ・ブルックス6
                                               リー・モガン(右)と

当時ジャズ界ではドラッグで身を滅ぼすミュージシャンが多かったようだ。
後年レイ・チャールズ楽団のツアーに参加したこともあったが、再び脚光を浴びることはなく’74年肝不全により42歳の若さでこの世を去っている
ハードバップが低迷した’60年代は他の多くの名手たちと同様活躍できる機会が少なかったようだ。

ティナ・ブルックス5
                       ジャッキー・マクリーン(左)と

死後に発表されたアルバムにより、時代を超えて愛されるテナー・マンとして人気と評価が高まった。 (ブルー・ノートより)

今回のCDでは20年ぶりに陽の目を見たという「ストリート・シンガー」ブルックスの作曲した曲が入っている。
3管での演奏で、ブルー・ミチェルのトランペット、ジャッキー・マクリーンのアルト・サックスそしてティナ・ブルックスのテナー・サックスが見事なアンサンブルを奏で、そこにポール・チェンバースのベースとアート・テイラーのドラムスが鉄壁のリズムでバックアップするという演奏は聴きごたえがある。
この曲はブルックスの作曲の中でも1,2を争うような名曲だろう。

その他にもブルックス作曲の「トゥルーブルー」「マイナー・ムーヴ」、そして「ザ・ルビー・アンド・ザ・パール」
「オレ」が入っているがどれも哀愁漂うブルックスの演奏がなんともたまらない。

ブルー・ノートジャズメン テナー・サックスのティナ・ブルックスでした。


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